25歳で出産。「プロラボ では結婚や妊娠したってキャリアを諦める必要はない」

普通でない経験を積めるPB・OEMという仕事

私は新卒で入社した時から、[PB・OEM職]という仕事を担当している。PBとは、プライベートブランドのこと。OEMとはOriginal Equipment Manufacturingの略で、製造業者が他社ブランドの製品の企画や開発などをすることである。お客様が自社のサロンで販売するオリジナルサプリメントやドリンクの企画開発をサポートするのが私の役割だ。

PB・OEMは本当に面白い。1つの商品が店頭に並ぶまでのあらゆる過程に携わることができる。見積もりを出すためには、原価率の計算方法を知らなければならないし、契約書を結ぶには法律の知識と経営的視点が必要、パッケージを決めるためには食品表示の知識もあったほうが良いし、プロジェクトを進めるためのディレクション力、タイムマネジメント力、巻き込み力、コミュニケーション力も欠かせない。

そして、何よりもヒアリングありきの仕事である。「ハーブティーを作りたい」というクライアントの要望を具現化することもあれば、さらに良いと思われる提案をすることも必要だ。そのためには、 なぜ今のタイミングで開発に踏み切ったのか、目指すもの、ターゲット、現在抱える課題などを事細かに聞いていく。相手の要望を整理するほか、時には相手がまだ気付いていない潜在的な希望まで引き出してこそ、良い商品を作ることができる。

突然の妊娠。周囲の反応は

強調したいのはこの仕事を、妻であり、母である私が行っているということ。実は、私は25歳で出産をした。子どもは4歳と1歳。女性活躍という言葉はもはや聞き飽きているかもしれない。だけど、出産後に以前と変わらない仕事を任されている女性はどれだけいるだろう。

私は時短勤務で、PB・OEMの仕事をしている。保育園のお迎えがあるため、残業はしない。それでも仕事ができているのはチームメンバーの理解のおかげだ。子どもが熱を出した時は「早くお迎えに行ってあげてください」と快く送り出してくれる。ブランクのある私に以前と変わらず接してくれることが本当にありがたい。2人の子育てを経験してから、時間管理や同時並行で物事を処理するスキルといったまさに仕事に必要な能力が上がった気がする。

そんな私でも、妊娠が発覚した当時は、会社に何と言えば良いのかと不安になった。今後のキャリアを考えると不安はさらに膨らんだ。当時のプロラボでは、産休制度をつくろうという話は出ていたものの、まだ仕組みは整えられていなかったからだ。

妊娠を最初に打ち明けたのは女性の執行役員である花塚だった。「突然のことで申し訳ないですが、仕事は辞めたくない」「出産ギリギリまで働かせてほしいです」と正直に話した。花塚はかなり驚いた様子だった。しかし、「おめでとう。大丈夫だから。会長に相談してみる」と言ってくれた。

妊娠を知った会長の驚きも相当なものだった。まずは若い私たち夫婦2人できちんと生活していけるのかを心配してくれた。そして「そういえば子どもができても働きたいと言っていたね」と私の入社当時を振り返っているようだった。

新卒社員の上司は、佐々木会長

2010年に私が新卒第1期生として入社した頃、プロラボは今と比べると全てが発展途上だった。現在は数百種類以上ある商品のうち、プロラボの原点であるハーブティーはまだ3種類で、今は銀座や青山にある直営のコンセプトサロンも無く、海外進出もしていなかった時代だ。説明会では会長みずから事業内容や理念を語り、執行役員の花塚や講師の新屋など今では会社のエースとして活躍する人たちが会社の魅力を伝えていた。

私が配属されたPB・OEM担当は、当時は会長が担当していた業務である。つまり、私の上司は会長。取引先でのヒアリングや企画提案、工場とのやりとり、駆け引き、見積書の作成まで、全て会長から教わった。取引先は上場企業や大手企業も多い。今思い返してもなんて貴重で贅沢な期間だったと感じる。経営者マインドや、事業戦略に対する考え方、信頼関係の築き方など、一流の人がどう考えどう行動するかを実践を通して知ることができた。

会長から学んだことは数知れないが、特に印象に残っていることがある。それは、「相手を知ろうとする姿勢」だ。会長は聞き上手で、仕事帰りの車内や、外回りの合間のカフェ休憩などちょっとした時間に私に色々と質問をしてきた。どんな環境で育ったかが特に興味があるようで、「お父さんはどんな人なの?」「姉妹は何をしているの?」などと聞かれた覚えがある。

興味は社員に対してだけではない。「●●さんも、こんなことが昔あって苦労して、今のポジションにいるんだよ」など、なぜ取引先のそんなところまで知っているんだろう?ということがよくあった。そんな会長だからこそ、各訪問先での話がいつも盛り上がる。「もっと良いものをつくりましょう」と先方の想定を超えた企画開発の話に発展することもしばしばだった。

今の私があるのは、佐々木会長から「相手に興味を持つ」という基本の姿勢を教えてもらったからだ。一人前の社会人に育て上げてくれた会長に感謝は尽きない。そして、子どもが生まれても働き続けることができているのも会長のおかげである。「いつか子どもを産んでもやりがいを持って働き続けたい」という言葉を覚えてくれてい会長は、妊娠した私に「産休・育休制度をつくって、戻る場所を用意しておくよ」と言ってくれたのだ。おかげ様で1年の休みをいただいて、私は復帰することができた。

職業人として、女性として

プロラボでは結婚や出産をしてもキャリアを諦める必要なんて無い。私は1人目を出産してから時短で働いているときに、主任という役職をいただいた。「時間ではなく、成果で評価したいから」ということだった。子どもが2、3歳という忙しい時に昇進することができたのだ。

2人目を出産した私は今年の5月に復帰したばかりである。休んでいた1年の間に、海外の案件や新規のクライアントなどが増え、仕事がさらに面白くなっていた。今抱えているタスクは?と聞かれたらスラスラと30個以上書き出せる。同時並行で多様なタスクをこなし、多方面に気を回して、やっとプロジェクトが回る。1年かけてつくった商品が店頭に並んでいるのを見たときは、全ての苦労が吹っ飛ぶほど嬉しい。簡単ではないが、普通ではない経験を積める仕事なのだ。

職業人としても女性としてもやりたいことはまだまだある。結婚や出産をしたらキャリアを諦めないといけないなんてプロラボではありえない。色々経験してさらに強くなった女性には、もっと面白い仕事が待っているのだから。

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